睡眠研究の世界的な権威が、その分野の最高峰の賞を取りました。そして本人が言っていることは、驚くほど地味で物理的です。
- 睡眠の側でわかってきたのは3つの数字です。レム睡眠が1%少ないごとに認知症リスクが約9%高い、24時間起き続けると酒に酔ったのと同程度まで能力が落ちる、4時間睡眠を2週間で内臓脂肪が11%増える
- 教授の処方箋は精神論ではありません。夜は暗く、室温は朝まで一定、寝室は換気、スマホは光よりコンテンツ——この4つが土台です
「ノーベル賞の登竜門」と呼ばれる賞があります。アメリカのラスカー財団が贈るラスカー賞です。2026年9月9日、その基礎医学研究賞に、日本の睡眠研究者の名前が並びました。
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構の機構長・柳沢正史教授です。テレビや書籍で見たことがある人もいると思いますが、なぜこの人が「世界的権威」と呼ばれるのか、そして本人が私たちに何を勧めているのかまでを一度に整理した記事は意外と多くありません。この記事では、受賞の一次情報にあたりながら、そこを埋めます。
何が起きたのか — 2026年のラスカー賞
ラスカー財団は2026年9月9日、その年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を、柳沢正史教授とエマニュエル・ミニョー教授(米スタンフォード大学医学部)の2人に贈ると発表しました。授賞式は9月17日にニューヨークで行われます。
この賞は、受賞者からのちにノーベル賞に進む人が多いことで知られています。日本人の受賞は柳沢教授で8人目、基礎医学研究賞にかぎると2014年以来12年ぶりです。ちなみに2026年は臨床医学研究賞でも日本人研究者が受賞しており、日本から一度に複数が選ばれる年になりました。
この2人の組み合わせは初めてではありません。2022年9月に発表された2023年の生命科学ブレークスルー賞も、同じ柳沢・ミニョーの2人が受賞しています。同じ発見が、4年の間に世界の主要な賞を続けて取ったことになります。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1998年 | 柳沢教授らのグループがオレキシンを発見。同時期に別のグループも独立に報告 |
| 1999年 | オレキシンを作れないマウスに、ナルコレプシーとよく似た症状が出ることを確認 |
| 2022年9月 | 2023年 生命科学ブレークスルー賞(ミニョー教授と共同) |
| 2026年8月 | オレキシンの働きを補うタイプのナルコレプシー治療薬が米国で承認 |
| 2026年9月9日 | 2026年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(ミニョー教授と共同) |
オレキシンとは — 覚醒を支える「つっかえ棒」
オレキシンは、脳を目覚めた状態に保つための物質です。1998年に柳沢教授と当時のメンバーだった櫻井武氏らが見つけました。
見つけ方が少し変わっています。当時、はたらきのわからない受け皿(受容体)が脳にたくさん残っていました。そこでラットの脳をすりつぶし、成分ごとに細かく分けたものを、その受け皿を持つ細胞に片っ端から振りかけていくという力技で、反応する組み合わせを探し当てています。目的の物質を先に想定して探したのではなく、逆から掘り当てた発見でした。
覚醒と睡眠はシーソーになっている
脳には、目を覚まさせる側の仕組みと、眠らせる側の仕組みがあります。この2つはシーソーのような関係で、どちらかに傾くともう一方が押し下げられます。
オレキシンは、このシーソーが「覚醒」側に傾いたまま安定するように支えるつっかえ棒にあたります。つっかえ棒があるから、私たちは日中に不意にガクンと眠り落ちることなく、連続して起きていられます。
つっかえ棒が折れると何が起きるか
オレキシンを作る神経細胞が失われると、覚醒を支え続けられなくなります。その結果として起きるのがナルコレプシーという病気です。夜にきちんと寝ていても日中に強い眠気の波が来て、会話や食事の途中でも眠り込んでしまうことがあります。笑ったり驚いたりしたときに力が抜ける発作をともなうタイプもあります。
柳沢教授はマウスの側から、ミニョー教授は患者と犬の側から、それぞれ別の入り口でこの同じ答えにたどり着きました。今回の共同受賞はその2つが合わさった結果です。
発見が2種類の薬になった
仕組みがわかると、両方向に薬が作れます。
- オレキシンの働きをブロックする薬——つっかえ棒を外して自然に眠りへ傾かせる考え方の不眠症治療薬として、日本でもすでに使われています
- オレキシンの働きを補う薬——逆に、つっかえ棒が失われた人を助ける方向です。ナルコレプシー向けの新しい薬が2026年8月に米国で承認されました
1998年の基礎研究が、28年かけて両方向の治療につながったことになります。ラスカー賞が評価したのはこの流れ全体です。
睡眠研究でわかった3つの数字
ここからは、賞の話を離れて「睡眠そのものについて何がわかってきたか」に移ります。近年はっきりしてきたのは、睡眠は脳が休んでいる時間ではなく、心と体の手入れをしている時間だという見方です。数字で見ると、その手入れをサボったときの請求書がはっきりします。
| 何を調べたか | 結果 | 出どころ |
|---|---|---|
| レム睡眠の量と、その後の認知症 | レム睡眠が1%少ないごとに、認知症の発症リスクが約9%高い | Neurology(2017)/60歳以上321人・平均12年追跡 |
| 起き続けた時間と、作業能力の低下 | 17時間で血中アルコール0.05%、24時間で0.10%に相当する低下 | Nature(1997)ほか |
| 4時間睡眠を2週間続けた体 | 1日あたり300kcal超を余分に食べ、内臓脂肪が11%増えた | JACC(2022)/メイヨークリニック・12人・21日間の入院試験 |
レム睡眠は「浅い眠り」ではない
レム睡眠は夢を見る時間なので、なんとなく「浅くて価値が低い眠り」と思われがちです。実際はその逆で、感情の整理やストレスへの耐性、記憶の定着に関わる重要な時間だと考えられています。
アメリカのフラミンガム心臓研究で60歳以上の321人を平均12年追いかけた解析では、レム睡眠の割合が1ポイント少ないごとに、認知症を発症するリスクが約9%高いという関係が出ました。レム睡眠に入るまでの時間が長い人でもリスクが高くなっています。
ここは読み方に注意が必要です。この研究は関係があることを示したもので、「レム睡眠を増やせば認知症を防げる」と証明したものではありません。認知症の初期の変化が先に睡眠を乱している可能性もあります。それでも、レム睡眠を軽く見る理由にはならない、というのがこの数字の使いどころです。
徹夜明けの頭は「かなり酔っている」
睡眠不足が能力を落とすことは経験的にわかりますが、それがどのくらいかを酒にたとえた研究があります。1997年にNature誌に載ったオーストラリアの実験では、起き続けて17時間で血中アルコール濃度0.05%、24時間で0.10%に相当する成績の落ち方をしました。
0.05%は多くの国で飲酒運転の基準にあたる水準です。つまり朝7時に起きて深夜0時まで起きているだけで、酒気帯びと同じくらいまで判断力と反応が落ちていることになります。徹夜明けはその倍です。
寝ないと太る——2週間で内臓脂肪11%増
メイヨークリニックが行った21日間の入院試験では、健康な12人を「1日4時間睡眠」と「1日9時間睡眠」に分けて2週間過ごしてもらいました。
4時間の側では、1日あたり300kcal以上を余分に食べ(脂質は約17%、たんぱく質は約13%増)、消費エネルギーはほとんど変わりませんでした。結果としておなかの内臓脂肪が11%増えています。しかも体重の増加は0.5kg程度で、体重計だけ見ていると気づけません。CTを撮って初めてわかる増え方でした。
「寝る子は育つ」の裏返しで、寝ない大人は静かに内臓脂肪を貯めるということになります。
教授が勧める寝室の作り方 — 4つの物理条件
ここが柳沢教授の話でいちばん実用的な部分です。「気合い」でも「寝る前の心構え」でもなく、部屋の物理条件を先に整えるという順番を強調しています。
| 項目 | 目安 | 理由 |
|---|---|---|
| 光 | 夜の寝室は真っ暗が理想。日暮れ以降は家全体の照明を落とす | 夜に明るい光(とくに天井の白っぽい照明)を浴びると体内時計が後ろにずれ、眠りに向かうホルモンが出にくくなる |
| 室温 | 冬は20度以上、夏は25度前後を朝まで一定に | 眠ったころにエアコンが切れるタイマー設定は、いちばん深い眠りの時間帯を壊しやすい |
| 換気 | 空気が入れ替わる状態にしておく | 閉め切った寝室では二酸化炭素の濃度が上がり、眠りの質が下がる |
| スマホ | 光より中身を避ける | 画面の明るさそのものより、SNSやゲームのように反応が返ってくる刺激が脳を起こしてしまう |
室温については、当サイトでも熱帯夜のエアコンはつけっぱなしが正解という記事で同じ結論に行き着いています。タイマーで切る運用は、寝つきだけを助けて後半を捨てているのと同じです。
スマホは「ブルーライト」より「双方向」が問題
寝る前のスマホがよくないという話は、たいてい画面の光の色で説明されます。柳沢教授はそこよりもコンテンツの性質を問題にしています。
SNSやゲーム、ショート動画は、こちらが操作すると必ず何かが返ってきます。この「返ってくる」感覚が脳の報酬の回路を動かし、覚醒側へシーソーを傾け続けます。紙の本を暗めの明かりで読むのと、同じ明るさでSNSを見るのとでは、脳の起き方がまったく違うということです。
ついでにひとつ、よく言われる俗説が否定されています。「暗いところで本を読むと目が悪くなる」という話は、教授が眼科の専門家にも確認したうえで根拠がないと述べています。夜に照明を落とすことをためらう理由にはなりません。
寝る前のスマホをどう手放すかは寝る前スマホの記事で具体的に扱っています。
休日の寝だめは逆効果
平日の睡眠不足を土日に取り返す——多くの人がやっていて、そして教授がはっきり否定している習慣です。
問題は睡眠時間の長さではなく、眠っている時間帯の中央値(就寝と起床のちょうど真ん中)がずれることにあります。平日は0時に寝て6時に起きる人なら中央値は3時です。休日に2時に寝て11時に起きると中央値は6時半になります。この3時間半のずれが、体にとっては飛行機に乗らずに時差のある土地へ移動したのと同じ扱いになります。
この仕組みそのものはソーシャルジェットラグの記事で、寝すぎた翌日のだるさへの対処は休日に寝すぎて逆にだるいで詳しく扱っています。
人は「寝すぎる」ことができない
毎晩9〜10時間眠らないと調子が出ない人がいます。本人は「自分は寝すぎている」と気に病みがちですが、教授の答えは違います。人は必要な量を超えて眠ることはできません。
長く眠らないと回復しないということは、眠っている時間の質が落ちていて、必要量を満たすのに時間がかかっている可能性を示します。睡眠中に呼吸が止まるタイプの不調や、心の状態が背景にあることもあります。時間を削って解決する話ではなく、質のほうを調べたほうがよい領域です。
自分に必要な睡眠時間の測り方
必要な睡眠時間は体質で決まっていて、個人差が大きいものです。8時間という数字は平均であって、あなたの正解とはかぎりません。
調べ方はシンプルです。連休を使って、目覚ましをかけずに3〜4日続けて「眠れるだけ眠る」。それだけです。
- 1〜2日目:溜まっていた不足を返すため、いつもよりかなり長く眠ります。ここの数字は参考になりません
- 3〜4日目:睡眠時間が落ち着いてきます
- 落ち着いた時間が、あなたにとって必要な睡眠時間です
3日以上の休みが取れるタイミングでしか測れませんが、一度知っておくと「何時間寝れば足りるのか」で迷わなくなります。
細かい2つの誤解 — スヌーズと朝練
アラームのスヌーズは無駄
5分おきに何度も鳴らす使い方は、浅い眠りを細切れに繰り返すだけで、眠りの質を悪くします。間隔は10分ほど空けて、2回までにするほうが目覚めは良くなります。
あわせて、寝る前に「明日は何時に起きる」と強く意識して眠ると、その時刻に起きやすくなるという研究もあります。無料で試せるので、損はありません。
スポーツの上達は「朝練より睡眠」
若い世代は体質的に夜型に寄る人が多く、無理に早起きして朝練をするより、睡眠時間を確保したほうが伸びる可能性があります。
スタンフォード大学の実験では、バスケットボール部の選手に睡眠時間を2時間長く取らせたところ、シュートの成功率と短距離走のタイムがどちらも向上しました。練習量を増やすより先に、寝る時間を増やすほうが効いたわけです。
日本人にとって何が大切になるのか
最後に、いちばん大きな話をします。日本人の平均睡眠時間は、国際比較で最も短い部類です。OECDの生活時間データをもとにした33か国の比較では、日本は7時間22分で最下位です。2番目に短い国とも30分近い差があり、統計的に見て「外れ値」と言っていい位置にいます。
この背景には、寝る間を惜しんで頑張ることを美徳とみなす価値観があります。柳沢教授はこれを、成果の面から見て意味がないと切り捨てています。実際、先に見た数字が示すのは削った睡眠の分だけ、起きている時間の質が下がるという関係です。時間は増えても、そこで出せる成果は減ります。
意識を変えるというと精神論に聞こえますが、やることはスケジュールの引き算の順番を変えるだけです。そのうえで、部屋を暗くし、室温を一定に保ち、換気し、寝る前のスマホの中身を選びます。世界最高峰の睡眠研究者が勧めているのは、結局のところ全部この手の地味な作業でした。
出典: Lasker Foundation「Orexin—a brain peptide that maintains wakefulness」(2026年ラスカー基礎医学研究賞)/筑波大学「2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞」/AMED「柳沢正史教授が2023年生命科学部門のブレークスルー賞を受賞」/Pase MP ほか「Sleep architecture and the risk of incident dementia in the community」Neurology(2017)/Dawson D, Reid K「Fatigue, alcohol and performance impairment」Nature 388(1997)、およびWilliamson AM, Feyer AM, Occupational and Environmental Medicine(2000)/Covassin N ほか「Effects of Experimental Sleep Restriction on Energy Intake, Energy Expenditure, and Visceral Obesity」JACC(2022)およびMayo Clinic News Network/OECD Time use database。教授の発言内容はTBS「Nスタ」の解説動画ほか本人の公開インタビューによる。